NERUMAE日記

おやすみ前にいらっしゃい。

メルボルンで一番クールな場所はここだ!

みなさん。突然ですが、メルボルンで一番クールな場所はどこかご存知ですか。

フェデレーション スクエア? 違います。 セント・ポールズ大聖堂? 違います。 ビクトリア国立美術館? 違います。 ロイヤル植物園? 違います。

 

正解は、Abbotsford Convent アボッツフォード修道院 です。

 

 

 

ホストが教えてくれた

 

メルボルンでの電車やバスの乗り方を丁寧に教えてくれたairbnb先のホスト

ここだけは見たほうがいい、っていう場所はある? と聞いたら「メルボルンでいちばんクールな場所だよ!」と教えてくれたのがここ、Abbotsford Convent アボッツフォード修道院 だった。

 

 

歴史のある建物も必見だし、いろんなアートイベントも開かれているらしいのだけど、一番の見どころはこの敷地内にあるレストランなのだそう。なんでも、「食事代はあなたが決めてね」という仕組みになっているらしい。

出かけてきました。

 

 

善意のレストラン Lentil as Anything

 

来ました! 「食事代はあなたが決めてね」のレストラン。

お店の名前は Lentil as anything。訳すと「とってもレンズ豆」…? 合ってるのかな。まるごとバナナみたいな名前だね。 

 

 

どういう仕組みになっているのか&どう注文すればいいのかよく分からず、入り口付近にいた人に「初めて来たんだけど、どうしたらいいの」と聞いてみた。

「ハーイ、好きな席に座って! どこから来たの? 名前は? 僕はダン」とその人。レストランで名前まで交換するなんていいね。

「わたしはシン、日本から来たよ。メルボルンでここが一番クールな場所って聞いてきた」と伝えると、ダンは「もちろん〜!」と言いながらメニューを持ってきてくれた。

 

 

 

 Lentil as Anything の哲学

 

その日のフードやドリンク、Lentilの仕組みや運営哲学が書かれたメニュー。素敵だったので訳してみる。

  

 

「Lentil as Anything は、信頼、寛容、親切、受容の精神のもとに成り立っています。Lentilはお金のない人でも気高く尊厳を持って、学び、働き、食べ、社会に参加し、楽しむことができるようにと始まったレストランです。

私たちのレストランはFree(無料)ではありませんが、あなたはFree(自由)です。ここでの食事にどれだけ価値があると判断するか、お金という概念を越えたこの場所の存在にどれだけあなたが貢献するかはあなたが決めてください。

私たちは、余裕のある人がそうでない人に手を差し伸べてくれること、それによって皆で喜びを分けあえることを祈っています」

 

 

サービスの価値を知る

 

Lentil哲学のウラにはこんな案内が書かれていた。

「1人につき…

5AUDなら、ちょっと足りないから、お店手伝ってみない?

12AUDなら、ドリンクもフードもカバーできるよ。

15AUDなら、いえーい! ガス代も維持費も車代も払えるよ」

 

 

お金は窓際にある透明の「お金入れ」に入れるようになっている。誰がいくら払ったかをその場で確認するような人はいない。

お店の壁には「お金を払える人も払えない人も、ここではすべての人が平等に歓迎されています」と書かれている。

 

 

会話しながら食事した

 

ドリンクはセルフ・サービスなはずなのに、「シン、何が飲みたい?」とテーブルまで聞きに来てくれるスタッフの人。そしてそれはさっき名前を伝えあったダンではない。

シンっていう子が座ってるよ、とダンが誰かに教えてくれたのだと思う。ここでは働いている人と食事をしに来た人のあいだの垣根がない。

「ハイ、シン。食べたいのは決まった? ちなみに僕のおすすめはこのナチョだよ」

うんうん。それ頼むよ!

 

 

「ハイ! いいカメラだね」

「ハイ! 食事楽しんでる?」

「ハイ! 今日のメニュー僕が考えたんだ、味はどう?」

いろんなスタッフが声をかけてくれる。しかも結構じっくり話をして去っていく。

「シン、デザートも食べない?」とサーブしてくれたココナツミルクケーキ。美味しいよ!

 

 

 

店内の黒板にもメニューにも「ボランティアスタッフ募集」の文字がある。週に2,3回は初めての人のための簡単な講習もあるようで、多くの人が気軽に手伝っているようだった。

どのスタッフからも、ここで働くことを楽しんでいる空気が伝わってくる。

 

 

「助けてあげる」じゃない助け方

 

 

Lentil as Anythingは「お金がある人がお金がない人を助けてあげましょう」というだけではなく、お金がなくても尊厳や自信を失わずに社会に参加できるよう、いろんな人が少しずつ知恵やお金や労働力を出しあって成り立っている場所だった。

炊き出しではなく(炊き出しももちろん素晴らしい善意の形だけど)レストランという形態で、受けとる人が「恵んでもらっている」という劣等感を持たずにサービスを受けられる空間。食べ物だけではなく、人から人への心遣いから元気をもらえる場所だった。

 

そして私も、いくら入れよう…と食事をしながら考えた。いま貧乏だけど、まだ自分の食事代は払える。でも誰かのためにお金を払えるかな。…これ、「いまの自分」と向き合える仕組みだな。

 

 

 

ということで、Lentil as Anythingでかっこいい善意の形を見せてもらった1日でした。あんたたち、クールだよ。

 

いつかこのボックスの中に大金を入れにまた来るぞ。

来い! そんな日!

 

 

(ご飯のこと書きすぎて他のこと書けなかった。アートも、楽しそうな子どもたちも、羊やヤギもそろった素敵な修道院でした)