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【オーストラリア女1人旅 メルボルン編】オーストラリアから見る戦争の歴史。メルボルンのShrine of Remembrance 戦争慰霊館に行ってきた。

今日はメルボルンにある Shrine of Remembrance 戦争慰霊館に行ってきた。

戦争。奥歯がズキズキしてきそうな話題ですが歯医者の定期検診みたいなものだと思っておつきあいください。

 

 

私の乏しいオーストラリアのイメージが乏しすぎる

 

まず私の頭のなかでオーストラリアと戦争のイメージがあまり繋がってない。オーストラリアって戦争に参加したことあるんだっけ…。

昔イギリスが入植した過去があって、今は独立国で、海の中にぽつんと浮かんで他の国との利害関係にあんまり巻き込まれてなくて、みんなのんびり暮らしてて、動物がいっぱいいて、平和。

 

そしてみんな体つきが大きい。声が大きい。グダイ!もしくはグダイマイ!って挨拶する(井上雄彦の漫画「リアル」にそういう人が出てきた。あの人は長野満っていう名前なんだね。海の向こうから何を調べているんだか私は)。

 

えーっと、それで、オーストラリアっていつか戦争に参加したのだっけ…。

ということで、Shrine of Remembrance 戦争慰霊館、見てくることにした。

 

でかい

 

どーん。広大な敷地に建てられた古代ギリシャ風の建物。

周辺の公園だけで13ヘクタールあるのだそう。建物も含めた全体では、東京ドーム (4.7ヘクタール) 3個分くらいある。広いよー。暑いよー。影ないよー。焦げるよー。

建物の外には炎が燃えている(Eternal Flame 永遠の炎)。1954年から消えずに燃やされているのだそう。いいね。みんなを幸せにするための火はいつだって好きだ。

 

 

 

おごそかな空気が漂う館内

 

入り口を入ってすぐ、"Greater love hath no man" の文字が。

hathってなんだろう。文章の意味がよく分からない。

 

 

調べてみたら、これ、新約聖書ヨハネの章からの引用なのだそう。全文は

”Greater love hath no man than this, than to lay down man's life for his friends" 「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」

 

そうなのかな、ヨハネ。そうかもしれない。小さい愛もままなってない私は大きな愛のことはよく分からないよ。

でもこの建物全体から、戦争で命を失った人達に対する敬意と、かけがえのない命に対する慈しみの気持ちは伝わってくる。

 

 

 

オーストラリアの歴史をざっくり

 

他の国の歴史をそんなにざっくり語るのは失礼かな、といつもちょっと不安になるけど、わたしの頭のなかを整理するためにまとめさせてね、オーストラリア。

 

 

海の向こう。広〜い土地の中で人々(先住民)がのんびり暮らしていたむかしむかしのオーストラリア。そんな平和な土地にも、ヨーロッパ人の世界探検、大航海時代がやって来た。

 

1606年、オランダ人 Willem Janz ウィレム・ジャンツがヨーロッパからやってきて、オーストラリア北部地域に初上陸。

1642年、オランダ人 Abel Janszoon Tasman アベル・タスマンが西海岸を回って南部へ。タスマニア島を発見。

1766年、イギリスが派遣した観測隊の船長 James Cook ジェームズ・クックがニュージーランドを発見した後、オーストラリア東海岸に上陸。

 

それから入植と開発、原住民アボリジニに対する襲撃・虐殺が進む。

入植当初、オーストラリアは流刑地として使われていた。イギリスからやって来る移民の多くは犯罪者だったそう。殺害が公認されていたアボリジニは急速に減少していく。

 

移民してきた人々が生活を築き、イギリスからやってきた文化が街や仕組みを作り、鉄鉱石や砂金、羊毛という豊かな資源が経済を支える。

そうしているうちに、イギリスという母の手を次第に離れてひとり立ちして、オーストラリアという国ができあがっていった。

 

 

 

オーストラリアの戦争歴

 

1901年1月1日に連邦国家として「国」になったオーストラリア。自治権を持ちながらも、外交はイギリスが指揮を取っていた。

第一次世界大戦にはイギリスとともに連合国として参戦。

第二次世界大戦時も連合国として自動的に参戦が決定。開戦初期は志願兵が各地に派遣されていたそう。

1941年12月の日本の真珠湾攻撃に対してオーストラリアが日本へ宣戦を布告。

ミャンマー、現在のインドネシア、シンガポールと次々と攻略しながら南下してくる日本。国内で高まる不安。

 

 

 

日本のオーストラリア空襲

 

1942年2月から1943年11月まで、日本はオーストラリア本土、周辺の島、船舶を97回にわたって空撃した。

一番規模が大きかったダーウィンへは242機で空撃。少なくとも251人を死亡させる。空撃の理由は日本が事前に占領していた現在のインドネシアの防衛を確かにするためだった。

苦戦中のイギリスに代わって、1942年3月にはアメリカからマッカーサーがやってきて(西南太平洋連合軍最高司令官として)戦争を指揮していた。

日本、本当に戦争につよい国だったんだね。

 

 

 

 

オーストラリアの平和な感じの理由って

 

こうして見てみると、戦争中のオーストラリアにはいつもリーダーとして他の国の存在があって、「どこかを侵攻した国」でも「戦争を派手にくりひろげた国」でも「反省すべき過去がある国」でもないんだな、というのがなんとなく分かる。

いま、オーストラリアの軍隊は Australian Defence Force, ADF オーストラリア国防軍 という名前で、「自分の国が攻撃されないように守るよ/されたら撃破するよ」「南太平洋の安全/平和を守るよ」「何かあったら近隣の国や、近海に協力するよ」「国際的な安全に協力するよ」という平和のための機関、という位置づけだ。

 

 

 

You may say I'm a dreamer

 

戦争の話をするのはいつも気が重い。気が重いからタイプする手も重い。よく知らないことが多すぎるし、軽い気持ちでは書けないし書きたくない。

Shrine of Remembrance 戦争慰霊館の広すぎる公園の芝生に座って、膨大な資料を見たあとで処理しきれない頭をかかえて、ぼーっとしながら考える。

 

 

起こったことは覆らない。そして、起こってしまったことはいつも賢くなるためのきっかけを与えてくれる。

 

わたしは1人の人間として、戦争はだめという当たり前の意志を持ちながら生きていこうと思う。それはもう、掘り下げる必要がないゆるぎない事実として意識して生きていこうと思う。

「でも他の国が攻撃してきたらどうするの」「そのために私たちも軍事力を高めなくちゃ」とみんなが揺らいだら、お互いがお互いを恐れ合い、いがみ合う世界ができあがる。

 

いつか自分も死んで、ずっとずっと時間が過ぎて、国という概念も曖昧になって、「むかしの人は戦争とかいってチームに分かれて殺し合いしてたらしいよ。意味わからないね。恐ろしいね」という時代が来たらいいなと思う。生きてるうちにそんな時代は来なさそうだけど、自分はそっちに向かいながら自分の人生を終えたいなと思う。