昨日、台湾についたニレーシュに「ニレーシュのことを初めて日記に書いたよ」と伝えると、そのあと泣きながら電話がかかってきた。
「まだ半分までしか読んでない。おならのことも書いた?」と泣きながら聞いていた。
どこも泣く所ないじゃん! と、私は半分びっくりしながら、あと半分は笑いながら聞いていた。「自分が誰かに愛されていることがすごく嬉しかった」のだそうだ。かわいい人だなあと思う。
電話を切ってまたしばらくすると、「やっぱり can't stop crying」(やっぱり泣いちゃう)というLINEが来た。続きをがんばって読みながら、ホテルの部屋でひとりまだ泣いているらしい。
「やっぱり can't stop crying」って、なんかいい響きだな。90年代の流行歌のタイトルみたい。TRFとかの。「やっぱり can't stop crying」。妙に語感が気に入ってしまった。
でも、例えばここで「やっぱり can't stop cryingって、TRFの曲のタイトルみたいだね」とニレーシュに言っても間違いなく伝わらない。
言葉が通じないのではなくて、その言葉の持つ背景が通じないということは、ニレーシュと一緒にいてよく実感することの1つだった。
そういうことが起こると、時々は説明を試みたりする。
「TRFっていうグループがいてね。私が小学生くらいの時にすごく人気があってね。
よく英語の歌詞が入るのも、意味が分からないながらもカッコよくてね。
ダンスビートと女の人の高い声とちょっと抑圧された感じの歌詞が無性にオトナの世界な感じがしてね…」と。
ゆっくり説明したら、全く通じなくはない。多分。
でも私が感じている「やっぱり can't stop crying」という言葉のおもしろさは、おそらくニレーシュには正確には伝わらない。
伝え方をあれこれ工夫して説明した後で、「いや、これそこまでがんばって伝えたいことじゃなかったわ」と気づくことの方が多い。
そういうとき、口には出さずに「どうやって説明すると一番近いところまでいけるかな」とひとり想像を楽しむ。
YouTubeを見せるのが一番早いかな、とか、洋楽だと誰がTRFに近いかな、とか。
そもそも、「やっぱり」って英語だと何だろう、とか。
Still? なんか違うな。I knew it but… かな?
ニレーシュも「やっぱり」っていう日本語のほうが英語より伝えやすいと思ってるからここだけ日本語なのかな、とか。
そうやって脳内遊びをしていると、
「”やっぱり can't stop crying”って、TRFの曲のタイトルみたいだよね」「たしかに〜」
で過ぎ去っていく会話よりも楽しいこともある。 自分にとっての「当たり前」や相手の思考回路を、手探りで辿っていく感じがして。
簡単に理解し合えないことは、なかなか面白い。そして時々めんどくさい。
そんなことを考えていたら、またニレーシュから電話がかかってきた。
「エグ エグ 今日のことずっと覚えとくね エグ」
私のかわいいインド人はまだ泣いてるとこだった。