今朝は午前中を庭で過ごした。
水色のペンキで塗られたデッキに腰掛けて、朝食にはあったかいスープと、バナナとビスケット。
ビシェノの海の上に浮かんでいる太陽が、冷え込んだ夜を少しずつ温めていっているのが分かる。そして太陽のほうを向いている私のからだの半分も、じわじわと熱を受け取っていっているのが分かる。
タスマニア・ビシェノの庭にやってくる朝
ちょうちょが、芝生の上を踊るように低く飛んでいる。
小刻みにステップを踏んでいたかと思うと一気にふわっと遠くへ舞ったりする。ダンスが上手な人みたい。
その動きに誘われて、私も庭を散歩する。ちょうちょを踏んでしまわないように気をつけながら。
乾いた風があちこちに咲いている小さな黄色い花を揺らす。
すこし背の高い乾いた草もいっせいに同じ方向に揺れる。指揮者と演奏家たちみたい。
繊細なさざめきもダイナミックな躍動も息ぴったりで、その調和に心が躍る。そわそわという音がきれい。
ときどき、チリチリ、ヒュールルル、ツツツツ、という鳥たちのいろんな声が合いの手を入れている。
木がざわざわ揺れる音もやさしい。遠くの木から聞こえる低いざわめきと、近くの木の一本一本の音の重なりに、からだがふわっと包まれる。
こんな日は本を読もう
家の中に入るのがもったいなくて、庭に椅子を持っていって、イーリに借りている童話『モモ』の続きを読む。
作者はドイツ出身の作家、ミヒャエル・エンデ。挿絵もエンデが書いているのだそう。
photo: Amazon
小学生の頃にいちど読んで、大学生の頃にもいちど読んだ。
10代、20代の思い出を、30代のいま、こんな土地で振り返っているのがふしぎ。
たたかうモモ。ドキドキの場面
お話はいま、とても重要な場面に突入している。
主人公の小さな女の子モモが賢者マイスター・ホラをたずねて、時間の秘密を1つずつ知っていくところだ。
ホラはモモになぞなぞを出す。モモはじっくり考えて、そのなぞなぞを解き明かす。
…いつか読んだはずの本の目も覚めるようななぞなぞの答えを、私は覚えていなかった。モモみたいに粘り強くなれず、答えが早く知りたくて、すぐに先を読んでしまった。
なぞなぞを解いたモモは特別に「時間のみなもと」を見る資格を与えられる。時間が隠し持っている真実にショックを受けながらも受け入れていくモモを、私も心細い気持ちになりながら追いかけた。
おはなしがクライマックスに差し掛かる。
時間のヒミツを知ったモモはたった一人で、大切な人たちが失ってしまった時間を取り戻しに町に戻る。
顔をあげるとのどかな景色が広がっているのに、手の中の本の世界は息を呑むほど緊張している。
お終いがきてしまう前にもう少し時間がほしくて、本を閉じて、庭の空気の中に戻った。
イーリの同居ネコ、ジジがいつの間にか私のリュックの中でくつろいでた。そこピッタリですね。
時間を、どう使いたい?
本を閉じて、ぼんやり考えていた。
私がこれから時間を使いたいことって、なんだろう。
人は、自分の時間を好きに使っていい。
自分を幸せにするために、自分の人生を豊かにするために使っていい。
私の「したいこと」は日々あたらしく浮かんでは消えていってしまうけど、今日みたいな些細だけどたいせつな時間を、言葉にして残しておきたいなと思った。
それが嫌になる日も来るのかな。その時には、もっと好きなものが見つかっていてほしい。
いつの間にかイーリのウクレレの音が響き始めた庭で、本の続きはまだ読めず、朝の時間にひたりながらそんなことを考えた日だった。