もしある日、自分がぐったり疲れていることに気づいたら、タスマニアに行ってみたらいいと思う。
もしある日、自分が本当は「何もしたくない」と思っていることに気づいたら、ビシェノの町に来てみたらいいと思う。
ここでは、ただ生きてるだけで満足してしまうような時間と景色がある。
最初は異世界だったこの土地の景色にも、最近だんだん慣れてきた。
「まだまだ時間はあるんだから」と、カメラを構える回数が減ってきている。
でも朝と夕方の太陽はまた別格で、なんど見ても心が躍る。
タスマニアの朝
差し込む光で目が覚めると、部屋にピンク色の光が充満している。
しばらく寝たままで窓の外をぼーっと眺めてから、ベッドを出て、カメラを持って、裸足のまま外に出てみる。
部屋に戻って時計を見たら、だいたい7時くらい。
タスマニアの夕方
部屋で本を読んだりしていると、部屋の空気がこんどは金色に染まっているのに気づく。
1日の終わりが近づいているのが分かって、少しさみしい気持ちになりながらカメラを持って外に出る。 乾燥しているタスマニアでは、日が沈むと気温がぐっと下がる。
その日1日の日差しの最後のあったかさを肌で味わう。
これがだいたい、19時半くらい。
イーリが借りている家の敷地はかなり広大で、何個分かは分からないけど、東京ドーム換算ができると思う(そういう家がここには数え切れないほどたくさんあるみたい)。
終わりが見えない草むらの中にぽつんと立って太陽と空を見ていたら、どの時代にも人はこうして同じように空を眺めてきたんだろうなという気がしてくる。
特別な日ではなくても、自然はいつも荘厳で豪快で華麗だ。
それをただ目撃したというだけで、「ああ、今日もいい日だった」と気持ちよく眠りにつける。
…うとうとしながら、ベッドの中でふと思い出す。
でも、去年まで住んでた元住吉の部屋から見る朝日だって、すごくきれいだった。
武蔵小杉のタワーマンションをオレンジ色に照らす朝日。
働いていた鎌倉のオフィスの屋上から見る夕日だって、すごくきれいだった。
山の方に沈んでいって、空を燃えるような色に染める夕日。
むかし教科書に載っていた、谷川俊太郎の『朝のリレー』という詩が思い出したいのに思い出せない。
でも多分、こんな気分のときに書いたんだろうな。
朝のリレー
カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする この地球で いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から経度へと そうしていわば交換で地球を守る 眠る前のひととき耳をすますと どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
(谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)