Dhamps ダンプス半日ツアー後半。前編はこちら▼
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機織りの工房を後にして、向かったのはすぐ近くにあるヒマラヤを臨む眺望が売りのレストラン(食堂に近いかな)。
名前は「NICE VIEW GUEST HOUSE & RESTAURANT」。
ゲストハウスと一緒になっていて、チャイを飲んだり食事したりできるところだった。
▲こんな感じの階段を登ったところにある
▲ゲストハウスの方は建設途中だった
▲カトマンズでもダンプスでも、ネパールのニワトリはなんか大きかった。みんな放し飼い
▲ニワトリをつかまえるカゴかな
▲薪小屋もあった
娘さんが作ってくれた食事
さて、レストランに座って注文したはいいものの、気長に待って1杯目のチャイが出てきた後、デビッドさんとお店の女の子が何か話し込み始めた。
2人の会話が終わるのを待って、「何話してたの」と聞いてみると、おもしろい返事が返ってきた。
じつはこのレストラン、運営しているのは女の子のお母さんなのだけど、今どこかへ出かけてしまっていて、当分帰ってこないらしい。
多分彼女は15歳くらいだったんじゃないかと思う。なるほど。このチャイが出てくるまでに時間がかかったのは、そういうことだったのね。
「この村で食事ができるのはここぐらいだから、料理が出てくるまで時間はかかりそうだけど、きっと美味しいから…」
と、デビッドさんもちょっと申し訳なさそうに私を見る。私は全然構わなかった。
眼の前には曇っていて見えそうで見えないヒマラヤがあって、いつかその姿が見られるまで、ここでゆっくり過ごしたかった。
▲お母さんの不在時に頑張ってくれた彼女
▲きれいに整頓されていたキッチン。お母さんにも会いたかったな
これでいいんだっけ
私がヒマラヤにかかった雲をぼーっと眺めている間、いつの間にか隣りにいたデビッドさんがいなくなった…と思ったら、キッチンの中で材料を切ったりチーズを削ったりと、女の子の手伝いをしていたのだった。
▲隣にいなくなったと思ったら、女の子を手伝っていたデビッドさん
私も中で手伝いたかったけど、2人の会話が楽しそうで、邪魔してしまうような気がしてすぐに出てきた。
▲段々畑で作られているお茶の葉。この茶葉から紅茶ができる。完全オーガニックなのだそう。チャイがとても美味しかったので紅茶になった茶葉も買って帰った。
上手に表現できるか分からないけど、このレストランにいる時、私は恥じ入るような気持ちを感じていた。
私はこの土地では6日かかって作った布をさっと買っていける人で、地元の人にはありえない価格で食事をする人で、お茶が美味しかったら茶葉も買う。
その土地のことも知らずにふらっと来た観光客で、その人達の生活を珍しそうに写真に収めてはすぐに去っていく。
雲間が晴れてヒマラヤが見えた
そんなことをとめどなく考えていたら、雲が少しずつ晴れてきて、眼の前にヒマラヤが現れ始めた。
山脈の中のこの尖った形の部分は「ピストルマウンテン」と呼ばれているらしい。
荘厳で、静かで、もちろん動かなくて、ただそこにある。
毎日見ていても飽きないのか、隣の建物にいた青年も壁の上に腰掛けて、現れたヒマラヤをじっと眺めていた。
散歩したり、座ってヒマラヤを眺めたり、買った布を巻いてみたりしていたら、作ってもらっていた料理が出てきた。
こちらはチーズがたっぷりのったチキンのパスタ。
これは…何ていう名前だったかな。キャベツや卵や他の具材を中に挟んで揚げ焼きしたもの。
生地が破れてしまったらしく、思った以上に火が通ってしまった…と女の子の言葉をデビッドさんが通訳してくれた。
私が15歳の頃、机で勉強してるふりして少女マンガ読んでたよ。他人に食べさせるご飯を作ってあげたことなんてなかったよ。
緊張しながら頑張ってくれて本当にありがとう。
お母さん、帰ってきたら喜んでくれたらいいね。
▲丘から見おろす村の景色
▲学校らしいものもあった
▲家々の窓やテラスはもちろんヒマラヤの方を向いてる
▲池で魚も育てているのだそう
帰り道のはじまり
「食材使いすぎ!」って後で怒られないかな…と思うくらい、デビッドさんと2人で食べてもかなりボリュームのあった食事を終えて、もう1杯ゆっくりチャイを飲んで店を出た。
▲丘をくだりながら見つけた巨大な水牛
デビッドさんの暮らし
帰り道を運転してもらいながら、デビッドさんはいろいろと自分の家の話をしてくれた。
デビッドさんは自分のお母さんと、奥さんと、子供は女の子が2人、の5人暮らし。
ポカラは土地が高いから、少し離れたところに住み、ずっとドライバーとして生計を立てているという。
長期の仕事が入るときもあれば、今回みたいな単発の仕事もある。個人でやっているので仕事量や収入も月によってまちまちなのだそうだ。
1日のドライバー仕事で、1000円から2000円ほどの収入になる。仕事のある日もない日もあるので、月の収入はだいたい2万ルピーほどになるという。
生活はギリギリだけど、やっていけないほどではない。この国では大体みんなそうだ、と言っていた。
家には畑があって、奥さんが野菜を育てている。ヤギとニワトリがいて、ミルクや卵も食料になる。野菜は食べる分以上が採れたら、売りに行ってお金も少し稼いでくれるのだそうだ。
お母さんも昔は家のために働いていたけれど、今はもうあまり家のことはできない。
奥さんが働いて家計を助けてくれるからすごく助かっている、いい奥さんと結婚して自分はとてもラッキーだ、とニコニコしていた。
デビッドさんと奥さんとはお見合い結婚なのだそうで、ネパールでの結婚やお付き合いの習慣も教えてくれた。
デビッドさんの若い頃は、みんな人に知られないよう隠れて付き合っていたのだそうだ。
誰かと付き合っていたことが知られると、後々のお見合い結婚で男性側の家がその女性を迎え入れるのを嫌がってしまう。
だからお付き合いは当時は女性の将来の事を考えても秘密にしておくべきだった、と教えてくれた。
ただ、今ではネパールの恋愛観も速いスピードで変化していて、若い子たちはもっとオープンに付き合っているのだそうだ。
最近、上の子が15歳になったという。
去年辺りからスマートフォンを欲しがっていて、自分ももちろん父親として、娘が欲しがっているものを買ってあげたいと思っている。ただ、スマートフォンは一番安いものでも5000ルピー(5000円)はしてしまうのだそうだ。
「大きな買い物だからね。ゆっくりね」と言っていた。
デビッドさんの携帯は年季の入ったガラケーだった。
前編でも同じことを書いたけれど、
この国では、今ないものは「ずっとないもの」ではない。「いつか手に入るもの」だ。
いつか、私が現状の暮らしを不満に思うようなことがあったら、デビッドさんのスマートフォンの話を思い出そうと思った。
自分の暮らしに戻りたくなってきた
また川の中をザブザブ渡って、ポカラの街へ帰る。
いくつなの?とか、恋人は? とか、結婚しないの?とか、今度は私の話もいろいろ聞いてくれた。
多分デビッドさんは40歳か少し上か、くらいだったと思う。私は34歳。ほとんど世代は変わらない。
私も、もう少し早いタイミングで自分の外に広がっている世界を見ようという気持ちになっていたら、20代の時間をもっと大切に使えたのかも知れない、と思うこともある。
▲ここでも壁を手で積み上げていた
▲何のブランド、商品なんだろう。読めないけどかわいい
▲この後もあちこちで壁に直塗りの看板を見つけた
▲ここは教習所だったのかな
でもそんなことを今考えたって仕方がない。
「これからの人生の中で、今日の自分が一番若い」というのは昔一緒に働いていた先輩が教えてくれた言葉だった。
ネパールに来て、自分のこれからの暮らし方のことをいろいろ考えた。
ここに暮らす人達が素敵だったから、私も自分の暮らしをもっと愛そうと思った。帰るのが少し楽しみになってきた。
そして帰ったら、また仕事を探すところからだ。
ホテルの近くで降ろしてもらって、デビッドさんにさよならをした。
朝ふらっと散歩に出たときには想像もしていなかった1日になった。しかもまだまだ外は明るい。1日って時々ものすごく長い。
部屋に戻ってベッドで横になりながら、3日後にカトマンズを出発する帰りの便を予約した。
🔽旅の始まりはベトナムでした🔽
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