nerumae.net

インド人の夫とベルギーで2人暮らし中。30代前半から仕事を辞めて海外1人旅をスタートし帰国後夫と出会って国際結婚したり海外移住したり。何歳になっても勉強しながら楽しく自由に生きることを誓います。

【マレーシア女1人旅。旅行記Day.1】ヒンズー寺院スリ・マハマリアマン寺院と関羽のお寺 関帝廟に行ってきた

エリックにもらった地図(電車の路線図も付いてた)をたよりに電車に乗って、適当な駅で降りてみた。

暑さを凌ぐマレーシアのインフラの工夫

駅から街につづく道にずっと屋根が付いているのに気づく。「マレーシア、そんなに暑くないじゃん」と思ったらこれのおかげか!

そうだよね。プーケットはリゾートだから太陽ギラギラで良かったけど、クアラルンプールは大都市だもんね。通勤通学、当たり前の日常生活を送るのにこの屋根はかなり役に立ってると思う。あつ〜い国でもみんなが元気に働ける工夫だなあ。

(何日か過ごしてみて、毎日のようにかなり激しく雨が降ることも分かった。この屋根は 日差し+雨 からもみんなを守ってるのだった)

目に入るすべてが珍しくてキョロキョロしながら歩いていたら、チャイナタウンを発見!

「ミルダケ」「ヤスイネ」「ニセモノ」。
日本語で話しかけてくるお兄さんたちのお店をふらふら通り抜けて、途中でフルーツを買って食べた。カットされた梨、1.5RM(=35円くらい)。安い。美味しい。

更にうろうろしているうちにヒンズーのお寺も見つけた。ここ多分、モノレールの中から見たやつだ!

何にも調べないでこんなに観光できちゃうのって、私の引きが強いのかマレーシアがすごいのか、どっちだろ。靴を脱いで、カウンターに預けて中に入る。靴の預け代が20セン(≒5円)。靴を履いたままでは入れません。

ちょっと脱線。なつかしいインドの思い出

実は3年前に友人とインドを旅行した。

シヴァ、ガネーシャ、カーリー、ドゥルガ、ムルガン、ナンディン、パルバティ、ヴィシュヌ、ハヌマーン、ブラフマー…などなど、ヒンズー教にはいろんな神様がいる。それぞれのキャラクター設定のようなものや、神様同士のエピソードがすごく面白い。お寺も神さまごとに別れていたりする。

「みんな自分のひいきの神様がいるんだ」と、ガンジス川を旅行中に出会っガイドのおじさんPawan(パワン)が教えてくれた。プロ野球の球団とそのファンみたいな関係だな、という印象を持ったのを覚えている。

 

 

信仰はヒンズー教徒のいちばん大事な日課で、それ以外(おもに仕事)はみんなそんなに熱心に打ち込んではいないみたいだった。訪れたのが古い都市ばかりだったせいかもしれない。

道で拾ったトゥクトゥクでは運転手さんの隣りにその友達が乗っておしゃべりしていたし、国営のお土産屋さんではみんな店内のテレビに熱中していてぜんぜん買い物の相手をしてもらえなかった。

右がPawan。左が運転手のおじちゃん。名前を忘れてしまった…日本に帰ったら日記探して追記するよ、おじちゃん。

みんなお酒も飲まないし(こっそり飲むことはあるみたいだけど)、肉もそんなに食べない(牛は神聖な・豚は穢れの生き物だから)。

その代わりに早起きして沐浴をして、暑いなか熱いチャイを飲むという楽しみがあった。

クアラルンプールのヒンドゥー寺院スリ マハ マリアマン寺院

さて、クアラルンプールのヒンズーのお寺はこんな感じでした。

 

カラフルで造形に富んでて、時にセクシーさも感じる装飾。

見回りのお兄さんに「写真を撮ってもいい?」と聞くと「もちろん、もちろん!」と歓迎してくれる。お寺はみんなの憩いの場だ。排他的な緊張感はまったくない。

お寺の中にはガールズトークする女の子たち。お昼寝している人。段差に座って甘い声で家族と映像通話するおじさん。いろんな人が自分の時間を楽しんでいる。

  

1人でぼーっと考え事をしているようなおじさんの背中がPawanに似ていて、インドが懐かしくなった。

クアラルンプールの中国式寺院 関帝廟

ヒンズー教のお寺のすぐ近くには中国式のお寺もあった。

天井からぶら下がったらせん状のお線香。お寺じゅうに満ちている煙。赤と金がメインの鮮やかな色使い。こんどは香港に戻ったみたいな気分になる。私もお線香をあげさせてもらった。

後から調べてみたら、このお寺で祀られているのは三国志の名将、関羽でした。

イスラム教の国かと思いきや、チャイナタウンにヒンズー&中国式のお寺から旅行がスタートしてしまった。なんだか奥が深そうなマレーシア。まだどこに何があるのか、どうやって移動すればいいのか全然分からない。

もう少しあちこち行きたかったのに、寝てないせいかぐったりしてきて来たルートをそのままたどって宿泊先に戻る。マレーシアのことがまだぜんぜん分からないな…と思いながら電車の中の人々を眺めていたら、降りる駅を間違えた。