インド人の夫ニレちゃんと新婚旅行、25日間のベトナムの旅スタート!
今回の旅の始まりと終わりはホーチミンのタンソンニャット国際空港。
前日の夜に成田空港を出発し、飛行機の中ではワクワクして眠れず映画を立て続けに見てしまい、翌日早朝げっそりしながら旅をスタートしたのでした。
この記事は最初の2泊3日を過ごしたホーチミンの記録です。
まずは空港でSIMカードを購入しましょう
ホーチミンに到着したのは朝7時ごろ。
途中で仕事をする予定もあったので、早く外に出たい気持ちを抑えてまずは空港内でSIMカード購入。SASCOという看板の両替所でSIMカードも販売されていました。


通話なし、5GB・30日間で20万ドン(1000円ほど)のお値段。
購入いたってカンタン。カウンターに置かれているメニューを指差しで済みました(パスポートの提示が必要)。
SIM自体の初期設定等も必要なく、挿入後再起動したらすぐ使えるものでした。
移動はGrab(グラブ)かGrab Bike(グラブバイク)で!
空港からホテルまでGrab(グラブ)を使って到着。Grabを日本でダウンロードしておくと空港で困らなそうです。
前回の1人旅のときはいつもGrab bike(グラブバイク。Grabの半額以下で利用できます)を利用していたけど、今回は2人なので毎回車の方で移動。
スクーターの3人、4人乗りはベトナムでは日常茶飯事でも、Grab bikeでお客を2人乗せたりはしない様子。
一気にGrab bikeを2台呼べたら便利そうですが、それも今(2019年8月時点)のシステムでは無理なようなので複数人の際は各人で配車が必要です。
とりあえずはホテルに到着したものの、チェックインにはまだ早かったので荷物だけ置かせてもらって街へ出てみることに。
ホーチミン到着!まずはスクーターをレンタル
ホテルの人に教えてもらってまず向かったのはバックパッカーストリートと呼ばれるファングーラオ通りにあるツアー会社兼スクーターレンタル屋さん。


この後も各地で借りましたが、スクーター1日レンタルは安くて80,000ドン(400円)、高くて160,000ドン(800円)くらいでした。
ベトナムでは国際免許が免許として認められていないので、正式にはスクーターやバイクは国際免許では乗れません。
ただ、レンタル時に免許を確認されることはないし、どの都市でも観光客の移動手段として貸出しはさかんです。ベトナム全土で(ムイネなどごく一部の地域を除いて)取り締まりもされていません。
借りるときは自己責任で借りましょう。事故にはどうぞお気をつけて…!
スクーターでまわるホーチミンの旅出発!
サイゴン大教会(サイゴン聖母大聖堂)に向かっている途中で見つけたカフェ Phin & Bean Roasteryでお茶をしました。焙煎もお店でやっているようで、コーヒー豆やコーヒーを淹れる道具もお店で販売されていました。
パンケーキをニレちゃん(夫)と半分こ。コーヒーをブラックで頼んだらパンチを食らったような濃さでした。ベトナムに来たなあ、という感じがするなあ。
サイゴン大教会
カフェ Phin & Bean Roastery からすぐのところにあったサイゴン大教会。
このときは修復工事中で中には入れなかったのだけど、多分2020年現在は終わっているはず。
この教会のあるドンコイ通りはベトナムのシャンゼリゼとも呼ばれているらしく、フランスの植民地時代に作られた建物が数多く並んでいます。
マジェスティックホテルやコンチネンタルホテルなどの高級ホテルがあるのもこの通り。
サイゴン大教会の見どころは建物の美しさ、マリア像、ステンドグラス。
このステンドグラスは今回見られませんでしたが、青空のもと明るいオレンジ色のレンガが空に伸びる姿はとてもきれいでした。
サイゴン中央郵便局
この郵便局は、フランス植民地時代にフランス政府が自国への連絡手段として1866年に作ったものなのだそう。
観光客と郵便局を利用する地元の人と、沢山の人で賑わっていました。
戦争証跡博物館
ここは、今までに見たどんな戦争に関する博物館よりも戦争の現実味が伝わってくる場所だったのだけど、その理由の一つは写真の展示が多いこと。
殺された人、銃を抱えて家族の写真を見つめる兵士、死体の山。頭がつながっていたり、目がなかったり、四肢がなかったり…と形態異常で生まれた子どもたち。脳裏に焼き付く写真ばかりです。
1975年の終戦からまだ50年も経過していないベトナム戦争。
このときアメリカが散布した高濃度のダイオキシンを含む枯葉剤は、アメリカ所有の資料に残っているデータだけでも8万3600キロリットル以上が散布されたと記録されています。
20年もつづいた戦争のさなか、ベトナムの環境破壊と食料源を奪うことを目的に枯葉剤は9年にも渡って撒き続けられました。もう既に枯れている森に、「新芽が出ないように」と散布が繰り返されたのだそうです。
被害者は当時で約400万人。ベトナム政府は補償を求めて2009年にアメリカに対して訴訟を起こすも、アメリカ連邦最高裁判所が訴えを却下しています。
傷跡は2020年を迎えた今もまだベトナムの地にしっかりと残っています。浄化作業は終わっておらず、今なお先天性欠損、がん、障害とベトナムの人々は被害を受け続けています。被毒は2世代では終わらず、3世代目への影響も数多く確認されています。
ここを訪れてひとつ希望を見たとしたら、親に連れられてたくさんの小さな子どもたちが見にきていたことです。
「この人は死んでいるの?」「どうして手がないの?」子どもたちは親に色々質問しながら、1つ1つの写真をじっくり見つめる姿を目の当たりにしました。
人が死んだり血を流したりしている写真は子どもに見せるべきではないという風潮が日本では強い気がするけど、その写真が意味することを子供に直接伝えることはとても大切なことだと私は思います。
ニレーシュとも「いつか子供をつれてまたここに来られたらいいね」という話をしてこの場所を後にしました。
昼食にはフォー!次の日のツアーも予約
博物館帰り、ホテルへ向かう道にあったお店pocpocでフォー・ガー(鶏肉のフォー)をお昼ご飯に食べました。
店に入るなり大雨が降りはじめたのだけど、現地の人は慣れっこな様子。
太陽ギラギラ、雨もたくさん降る。植物が育たないわけがない豊かな土地。お店の中にもトタン屋根を突き抜けて大きな木が育っていました。
朝から動き回っていたので、その後はしばしホテルで昼寝…。
日帰りメコンデルタツアーの予約とお値段
のそのそと夕方起きて、翌日の日帰りメコンデルタツアー(メコン川クルーズ)を予約しに再びツアー会社へ。
ファングーラオ通り(Phạm Ngũ Lão Street)にツアー会社が並んでいるので、ツアーの内容を聞いて予約するのがおすすめです。
価格は日本でオンライン予約するより現地予約がずっと安いです。
ホテルに迎えに来てくれるプランもありますが、旅行代理店前集合の場合もあるのでご注意を。
待ち合わせの時間と場所さえ把握できたらメニューの指差しで予約できます。
ツアーは人数によって値段が違うみたいなのですが、
35人ほどのグループなら250,000ドン(1,200円ほど)
20人程のグループなら420,000ドン(2,100円ほど)
9人以下のグループなら780,000ドン(3,900円ほど)
という価格設定でした。ご参考まで。
夕飯はクラフトビールが飲めるお店HEN HOUSEへ
お腹空いたね…とファングーラオ通り(Phạm Ngũ Lão Street)をフラフラ歩いていて見つけたのが「Craft Beer HEN HOUSE」。ここのクラフトビール、最高でした。
ブロンド、ダーク、IPA、ペールエール、白ビール、ピルスナー…と種類もたくさん!ビールは3つのサイズがあって、それぞれ30K〜80Kドンくらい(150~400円)。ちょっとずついろいろ飲み比べしても楽しそう。ベトナム料理も充実してて、ご飯も美味しかった。
帰り道に道端でプラスチックの机、椅子を並べている露店で緑茶を飲んで、ホテルの近くのコンビニでココナツのアイスを食べて、1日目はおしまい。
(おまけ)
(2日目・メコン川クルーズにつづく)
前回のベトナム一人旅の記録はこちら