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ダナンへの移動は夜行列車で
ベトナム・ハノイ4日目。
今日は夜からダナンという南のほうの都市へ移動してみることにした。ベトナム中央部の都市で、海がきれいなのだそう。
飛行機でもけっこう安く移動できるみたい(往復5000円を切る日も多いみたい)なのだけど、夜行列車というものに乗ってみたくてネットで電車を予約した。60USドルくらいだった。
https://vietnam-railway.com/vietnam-railway.com
バインミーのむっちりのヒミツは米粉だった
行き当たりばったりでも無事に予約が完了したところで、ハノイの街にお出かけ!
ホテルの朝食をスキップしても食べたかった朝ごはんはバインミー。私はベトナムのこのサンドイッチが大好き。
フランス植民地時代の食文化のなごりなんだそうだけど、今や完全に現地の味になってる。
どこでも気軽に買えて、暑い日に飲みたくなる冷たい飲み物とよく合って、香草や野菜の爽やかな香りがして、でも乾燥肉やパテも入ってて食べごたえもしっかりある。
お店によってパンの食感も全然違うんだけど、むっちりしてるところが多い印象。調べてみたら小麦粉に米粉をまぜて使ってるところも多いのだそう。
安いものは100円しないし、高いところでは...ちょっと分からないや、安いのしか食べてなかったや。
バインミーはお隣りのバインミーやさんで注文したのだけど、快くカフェに持ち込ませてくれた。なんて親切なんだ。このオレンジティー、おかわりしたいくらい美味しかった。
ハノイ市街地、ホアンキエム湖周辺を散歩
2日目にドゥンがスクーターで市内観光に連れて行ってくれたけど、自分の足で満足するまで街を歩いてなかった。ということで、腹ごしらえを済ませてお散歩スタート。ホテルのすぐ裏手には St. Joseph's Cathedral セント・ジョセフ教会が。いつも人で賑わっていた。この建物はベトナムがフランスの支配下だったとき、1886年の建物らしい。
第二次大戦中、1940年にフランスが降伏したのをきっかけに日本が同年〜翌年にかけてベトナムを侵略。
ここまで飛行機をのりついで1日がかりでやってきたし、今日もバスで夜通しかけてやっとベトナム中部のダナンまで移動するけど、日本は更に南まで侵略してたんだ。本当に強かったんだね、戦時中の日本。
(クアラルンプールの博物館でも大戦中の日本の勢いを垣間見た。その時の記事▼)
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もっとのんびりしたかったけど、ハノイで過ごすのはこの日が最後。
特に目的地は決めず、街をふらふらしたりカフェをはしごしたりしていたら、ハノイで暮らすアメリカ人、ジャスティンという人に出会った。
ジャスティンのベトナム生活
ジャスティンにあったのはホアンキエム湖周辺の市街地にあるオープンテラスのカフェ「Barett(バレット)」。
暑くて歩くのに疲れて、窓側の席で通りを見ながらフレッシュレモンジュースを飲んでいたときだった。
ジャスティンは店の前にたまたまスクーターを止めていた人だった。目があったのでちょっと話をしてみたら、観光客ではなく、現地で英語教師として働いているアメリカ人だった。
フランスの植民地だったこともあるのだろうか、ベトナムはあまり英語が通じる国ではない。この人もだいぶ遠くまで来たな…と思いながら世間話をしていると、今からTran Quoc Pagoda(近くのお寺)に行くけど一緒に行く?と誘ってくれた。お寺の前の広場で趣味のフルートの練習をするらしい。
スクーターの後ろに乗せてもらってついて行ってみることにした。
彼の運転はベトナムスタンダードに比べて丁寧で、クラクションもほとんど鳴らさなかった。現地の人は「通りますよ〜」という感じでお喋りするようにクラクションを鳴らす。おかげで街はいつもお祭りみたいに賑やかだ。
でも鳴らす側にも敵意はないし、鳴らされる側も全然気にしていないようなので、そこにストレスはあまりなさそう。道路の賑やかさ(うるささ)に最初はびっくりしたけど、数日見ていると悪意ではないことは伝わってきた。
湖の間にあるTran Quoc Pagoda 鎮国寺
到着したのはTran Quoc Pagoda 「鎮国寺」。
鎮国寺がある場所はユニークで、右がタイ湖、左がチュックバック湖という湖に挟まれた間を走っているタインニエン通りという道路から飛び出るように、湖の上に位置している。
鎮国寺、という同じ名前のお寺が福岡県の宗像にもあって、両親と一緒に行ったことがある。なんだか親近感。
ここはハノイで一番古いお寺で、明時代の6世紀に建てられたものが17世紀になって今の場所、タイ湖畔に移動されたのだそう。15メートルある仏舎利塔がランドマークになっている。敷地内に大きな菩提樹の木 Bodhi Treeもあった。1959年にインドの大統領が植樹していったのだそう。見て回りながらジャスティンが色々説明してくれた。
アメリカ人にお寺のことを説明してもらうなんて新鮮すぎる。ちょっと感激。
楽しむことを大切にする暮らし方
ぐるっとお寺を見て回ってから、湖が見える広場でジャスティンはフルートを、私はポメラで日記を書きながらしばらく人の通りと雰囲気を楽しんだ。
ジャスティンはアメリカで大学を卒業後、これまでタイやマレーシア、中国、韓国、台湾、といろんな国で英語の教師をしながら生活してきたという。
仕事だけをして生きるのはなにか違う…と自分のやりたいこと、知りたいこと、考えたいことのためにたっぷり時間をとっているようだった。私と同じ33歳だった。
私は今ひとりで旅行はできるようになったけど、あちこちの国に行って仕事をしながら生活する、というのはやったことがない。それはこれからの目標の1つだ。ジャスティンはタスマニアにいるイーリと同じく、私にとって先輩みたいな人だった。
いろんな国を回ってみて、ベトナムが一番好きだと言う彼。もうここで暮らして2年になるらしい。次の国に移ってもいいけど、ここで定住してもいいな、という気分でいるという。
スクーター大国ベトナムの駐輪のシステム
ベトナムでの生活のことや社会のしくみの話も色々聞いた。
一番興味深かったのは、どこにでも好きに駐車されていると思っていたスクーターは実は駐輪していい場所や駐輪料金が決まっていて、ハノイのような大きい都市ではそれ以外の場所に停めてはいけないのだそうだ。
言われてみたら確かに、どこでもきれいに並んでた。駐車料金は円、という金額で、照合のために番号の書かれたカードを渡されて、同じ番号を座面?にチョークで書かれることも多いのだそう。お尻まっしろになっちゃうよ。
私が日記を書いている間、ジャスティンは湖のとなりでマイケル・ジャクソンのビリージーンをフルートで吹いてた。のどかで楽しい時間だった。
ジャスティンは日々考えている世の中のこと、ニュースについて、政治や宗教、ベトナムの話なんかをYouTubeにアップしているというので、私もSubscribeした。英語の勉強にもなるし聞いてて楽しい。低くてダンディないい声です。みなさんもよかったらどうぞ。
Grabはスーツケースも運べる。さよならハノイ
ジャスティンとさよならをした後、ホテルに戻って預けていた荷物を取りに行ったらドゥンがいた。「まだ時間あるの?お茶飲んでいきなよ」と毎朝飲んでいた紅茶を入れてくれた。ドゥンには緑茶も紅茶もごちそうしてもらったなー。
これからどこに行くの?とかいつ日本に帰るの?とか危ないところは行かないように、とか色々心配してくれて、次はいつ来るの、またツアーしようねと誘ってくれた。
ちょっと待ってて、といなくなったと思ったら、どこからかビニール袋に入った茶葉を手渡してくれた。
「これはすごく美味しいグリーンティーだよ。すごくいいやつ。飲み方はちょっとだけ難しいからね。1回目に注いだお湯は捨てるんだよ。葉っぱを洗うんだよ。2回目のから飲むんだよ。いい茶葉だから、同じ茶葉で何回も飲めるよ」
ドゥンはこれを赤ちゃんに言って聞かせるように「1回目は捨てる、飲まないんだよ」と何度も丁寧に説明してくれた。私も中国茶好きだから飲み方は知ってるんだけど、真剣なドゥンの説明に水をさしてはいけない…と深くうなずきながら「うん、うん」と聞いていた。
蚊に刺されの薬も途中で買えるかな? と聞くと「この道のつきあたりを右に曲がったらファーマシーって書いてあるから。つきあたり、右だよ。ファー・マ・シー・だよ!」とこれもまたすごく詳しく説明してくれた。
ホテルから駅までは1.5キロくらいで、歩いていこうと思っていたのだけど、
「道もそんなに良くないし、タクシー使ったほうがいいよ。背中にGrabって書いてある人たちがたくさん走ってるから。乗る前に値段を聞いて、40,000ドン(=200円くらい)以上だったら高いから断って!」とのこと。(このときはまだGrabのアプリを使ったことがなかった)
私のスーツケースはOSPREY オスプレイの60Lで結構大きいんだけど、これくらいなら問題ない、とドゥン。さすがスクーター大国。
あっという間にお別れの時間がやってきて、ドゥンともハグをしてさよなら。ホテルに泊まって、こんなに心温まる交流やサービスに巡り会えるとは思ってなかった。
ドゥンに会えて、ハノイのシティーツアーもしてもらって、本当によかった。大好きな街になった。ドゥンの背中越しに見たハノイの景色、いつまでも覚えておくよ!
みなさんも、ハノイに行ったらLucky Ⅱ Hotelへぜひどうぞ。