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(第5話)動物保護の「お手伝い」のハードルは高い。ビシェノ・ペンギン物語【タスマニア滞在記】

「おはよう〜!」朝から元気に顔を出すと、いつになく悲しそうな顔でヴィッキーに迎えられた。

昨日の夜、ペンギンが1羽死んでしまったのだった。

野生の動物を人の手で扱うのはとても難しい

もともと身体が弱かった上、前日に手伝ってくれた人がエサを与えるのに時間がかかりすぎてしまい、ストレスを受けてしまったのだと思う、とヴィッキー。

私はペンギンの死体を初めて見た。小さくて固くて、生きている時の愛らしさはどこかに行ってしまっていた。

「起こってしまうことだから」と言いながら、ヴィッキーの残念そうな表情は消えなかった。


photo:Gallery_Pademelon Park

人では足りないが手伝ってもらうことも難しい

人手が足りていない夫婦の元に、時折ボランティアに来てくれる人たちがいる。私の友人イーリも、私もそうだ。

普段近づけない動物たちを間近で見て、触れて、お世話できるというのは誰にとってもやってみたいことだ。

でもそれが毎日やりたいことになるのはなかなか難しい。

実際、この パディメロンパーク Pademelon Park には1、2回お手伝いにやって来てエサやりなどを体験として楽しんで、それ以降来なくなってしまうという人がとても多いという。

扱うのはとてももろい命で、少しでもなにか間違えると死んでしまう。だから新しい人が来るたび、ジェフとヴィッキーはとても丁寧に教える。そしてそれっきりになってしまう。

それをくり返しながら、夫婦が疲れや虚しい気持ちを感じないはずはない。

私が初めてエサやりのお手伝いをさせてもらった日、「写真撮らせてもらおう」とはしゃいでいた私を止めたイーリの気持ちが、今になってよく分かるようになってきた。

ヴィッキーという人の素敵さ

ペンギンたちにエサをあげにいくと、ヴィッキーはたまにリンゴや梨をくれたりする。

段ボール箱にゴロゴロとたくさん入って床に置かれているリンゴや梨は、ヴィッキーとジェフの活動を知っている地元の人が、売り物にならないものを動物たちのエサとしておすそ分けしてくれているものなのだそうだ。

動物たちのご飯を分けてもらうって、なんだか新鮮で嬉しい。

パッションフルーツや、名前もしらない珍しい果物をもらったこともある(強烈に酸っぱかった)。

一度はものすごく美味しいお手製アップルパイももらった。

4時間おきに赤ちゃんにミルクをあげて、1日じゅう動物たちを見ていて、いつアップルパイなんて作れるんだろう。ハイパー・ヴィッキー・パワーだ。

お手伝いをして、ジェフやヴィッキーから「ありがとう」と言われる筋合いはもちろんない。彼らは自分の生活ごと動物に捧げている人たちだ。

でも何かしてあげようという気持ちが嬉しくてありがたくて、受け取らせてもらっている。

そういうとき、私もヴィッキーの胸に守られてミルクを飲んでいるウォンバットになったような気分になる。

「どう地球に身を置くか」を考えながら生きよう

わたしは急に動物保護に熱を燃やしはじめたわけではないし、タスマニアにやって来て自然派(というのが何なのか分からずに使っているけれど)に目覚めたというわけでもない。

ただ、同じ人間として、ジェフとヴィッキーの生き方に胸を打たれているし、尊敬している。彼らをとても素敵だと思う。

ペンギンを1羽死なせても、一生懸命生かしても、それだけで何かが大きく変わったりはしない。ヴィッキーとジェフが自覚して身を置いているのは、もっと大きな自然のサイクルの中だ。

タスマニアという場所だからではなく、どの場所にいても、自分がしていることが「何を産んで、何を殺しているのか」。この2人を見ながら私もそれをもっと理解したいと思うようになった。

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