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インド人の夫とベルギーで2人暮らし中。30代前半から仕事を辞めて海外1人旅をスタートし帰国後夫と出会って国際結婚したり海外移住したり。何歳になっても勉強しながら楽しく自由に生きることを誓います。

THE BLUE HARTS「少年の詩」といっしょに考える。ヘイト・スピーチと在日韓国人のこと

若い時に聴いた音楽って、どうしてこうも忘れないんだろう。


高校生の時に、お兄ちゃんの部屋から聴こえてきたブルーハーツやハイロウズを好きになった。いつでも脳内再生できるくらい聴いた。


34歳になった今では頻繁には聴かなくなってしまったけど
何か考えごとをしてたり、ふと思い悩んだりする時に、「スッ」とすくい上げてくれるようにタイミングよく浮かんでくる。

これが歌の力というものなんだろう。



ノーガードでのん気にインターネットをしているときに突然現れる「在日韓国人」についての敵意のある言葉や文章に、未だに傷ついてしまう。

どこかの誰かが私や家族のことを嫌っている。
閉じたはずの傷がまたちょっと開いてしまったようにヒリッとする。


発言者をそういう気持ちにさせた理由も何かあるのだろう。
知り合ってもいないのに、永久に埋まりそうにないその人との距離が悲しくて悔しい。


私が何人かを決めたのは私ではない。
母も父も、何人になるか自分で決めて生まれてはいない。

「私が決めた訳ではないから在日でもしょうがない」と言いたいのではない。


「何人(なにじん)」というのは、それぞれの命につけられたただの名札の1つだ。

それが命の質や内容を決めたりしない。


ある名札がついている人に「その名札をつけている奴がみんな嫌いだ」と文句を言うことに、どれほどの意味があるのだろう。

私と名札は等価ではない。 私 = 在日 ではない。



私は名札を外すことを選ばなかった。

つけられた名札が自分にとって邪魔か/必要かという問いが私の方に向けられること自体、不自然に思えたからだ。


自分で自分をつねっているのなら、私がその手をどけるけど
何かに踏まれて私の足が痛いのなら、踏んでいるものの方が動くべきではないのか。



知らない誰かの敵意を受け取ってしまい、落ち込みながらそんなことを悶々と考え始めてしまうと、どこからともなく甲本ヒロトがやってきて歌ってくれる。


「どうにもならない事なんて どうにでもなっていい事」
少年の詩より


そうだった。言葉はこんな風に人を助けたりもする。

あっという間で鮮やかで、強くてシンプルで優しい。


気持ちが少し静まって、ふー、とひと息ついて、そしてまた考える。

「どうにもならない」と思えるほど、私はまだ何もしていないかもしれないな、と。

それで今日はこれを書くことにした。
ブルーハーツみたいには上手く言葉を使えないけど。



在日という名札付きで生まれたことはラッキーだったと思う。

いろんな人の、それぞれの立場からものごとを考えてみようと思えるきっかけになった。自分を強くする方法を知ることもできたから。


どこで、何人に生まれたって
平等に幸せになる権利があるのが本来あるべき世界の姿だ。


「何人に生まれてよかった」と思う気持ちがあるのなら、「何人に生まれて不幸だ」と思う人がいなくなるような世界を作るために自分ができることをすればいいと思う。

私はそういう風に生きたい。


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